床が冷たい。
視界がぼやける。
妙に近くで聞こえる鼓動がうるさい。
脇腹が痛い。
指先の感覚が無い。
消えていく。私が消えていく。
ああ、これが死。
私、死ぬんだ……。

不意に浮かんだ彼女の微笑み。
我が主。
私の存在理由。
守れなかった。守り通す事ができなかった。
お嬢様－－。



監視者と反逆者



「殺したいのなら、いつでも来なさい」

低く重たい声。
椅子に座り、背を向けた男。
小さな私の手に握られたナイフ。

「何故…？」
「君の家族は裏切り者だったのだよ。我等を他のファミリアに売ろうとした」
「そんな事は聞いていない！！」

涙混じりの怒声。
水をうったように静まり返る部屋。

「何故、私を殺さなかった！！？」

振り向く男。
その唇には僅かに微笑みさえ浮かんでいる。

「私には、ちょうど君と同じ年頃の娘がいてね……」
「ふざけるな！！そんなくだらない理由でっ！！！」

ナイフの黒い柄を握り締める。
感じるのは屈辱。
家族を奪われた事への憎悪。
そして、それ以上に情けをかけられたという事実に打ちのめされる。

「私だってマフィアの女だ！！覚悟くらい出来ていた！！」
「それは、何の覚悟だ？」

体重を前にかけ、走り出す寸前だった体がびくりと固まる。
何の覚悟か？
そんな事、考えたことも無かった。
人を騙し、人を欺き、人を殺す。
そうするように教え込まれ、そのためだけに生まれ、生きている。
それが私。王(ﾜﾝ)家の一人娘に求められる事。
そのために必要とされるのが覚悟だ。
周りの大人達は口を揃えて、そう言っていた。
だから私はそれを信じた。
だって、それが当然のことで、疑いようのないたった一つの条理なのだから。
私はそうやって愚直に信じて来ただけだと、その時になって気がついた。

「それは殺す覚悟か？それとも……、殺される覚悟か？」

男は問いを重ねる。

「……っ！！両方に決まっている！！！」
「その言葉は、真実か？」
「当たり前だ！！」
「……そうか」

立ち上がる男。
身構える私。
腹に感じた衝撃。
めり込む男の靴。
込み上げてくる嘔吐感。
崩れ落ちた私。
近づいてくる男。
私の首にかかる指。
無言の男の冷たい目。
……殺される。

「…………」

瞬間、心が叫ぶ。
死にたくない！死ぬのは嫌だ！！
私を支配したのは、死に対する言いようの知れない恐怖。
まだ生きていたいという傲慢な願望。

「……………く…ない…」
「…………」

ゆっくりと力の加えられる指。
とぎれとぎれになる呼吸。
震える体。
がちがちと鳴り続ける奥歯。
ぼやける視界。
目尻から零れる涙。
嫌だ－－。

「……死にたく…ない！！」

男は微笑み、ゆっくりと手を離す。
私はうつぶせに倒れ、新鮮な空気を求めて喘いだ。

「君には覚悟が無かった。だから殺さなかった。……それで満足か？」
「くっ……」

反論できない。
事実、生きたいと願ってしまった。
家族の、一族の仇が目の前にいるというのに、
殺すことも、殺されることも出来なかった。
そんな自分が情けなくなる。

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